うみのこ通信

日々の断片

「生きづらい」という言葉が大嫌い

 年々旅行が下手になる。計画を立てるのが億劫。かと言って無計画に行って時間が中途半端に空くとイライラする。

 週末に恋人と旅行に行った。恋人は楽しかったと言っていたけど、私は自分の行動が全て裏目に出たような気がして、別れた後電車の中で涙ぐんだ。

 ゆっくりするための旅行として、今回はあまり予定を入れないようにした。だけど、ホテルのチェックインの時間、夕食の時間、お風呂は何時まで、朝食は、チェックアウトは。時間に結構縛られる。

 夕飯の時、他のグループでハッピーバースデーのケーキが登場していて、私は自分の過去のミスを悔やんだ。ホテルを予約する時に、要望欄に連れの誕生日で泊まる旨を書いておけばよかったと。だけど、その時はまぁ彼は甘いものそんなに好きじゃないしなと軽く思っていた。

 しかし翌朝、ラウンジでサービスのコーヒーを飲んでいた時、恋人の「誕生日っぽいことがなかったな…」という一言で私の中の何かがバラバラと崩れた。昨日、部屋に入って、部屋にあったお茶っぱを急須に入れようとしたらこぼれたこと、急須から湯呑みにお湯を注いでいたら蓋が取れてお湯が机の上に飛び散ったこと、チェックインの時間が遅めだったから夕飯も遅めの時間になり、コース料理なのに次から次へと出てきて興醒めしたこと、夕食の会話の中で恋人に「生きづらそうだね」と言われたこと。

 タクシーの運転手も最悪だった。駅前で拾った第一声がロータリーで楽器吹いてる人の愚痴って何なんだよ。私たち客なんだけど。恋人は営業職だし、他人には興味ないのに話は合わせられるタイプだから、失礼な運転手にも会話を合わせる。早く着いて。何も喋るなよ。

 自分が希望して恋人の誕生日に旅行に行ったのに、うまくいかなすぎて自分で自分が嫌になった。別れる頃には、本当に気持ちが塞いでいた。

 帰りの電車の中、ひたすらTwitterを眺めていた。何も考えたくなかった。ずっと隣の席が空いていたけど、少し大きめの駅に着いてから女の人が座って、私はショルダーバッグの中に入れていた『雨の中で踊れ』を取り出した。行きに「ロマンス⭐︎」という章を読んで戦慄し、その次の章の「おかえり福猫」という章を読んだ。

 孤独死について考える40代の女の話だった。彼女は狭いアパートに猫を11匹飼っているが、凄く猫が好きというわけではない。一つのお皿に餌を入れて猫に共有させるし、鳴き声をうるさいと感じる。彼女の携帯電話にはアパートの管理人からペットを飼っていないかという立ち入り確認の電話が来ていて、彼女はそれをずっと放置してしまう。

 会社をリストラされ、それを心配性の母には言えず、人が何を考えているのかわからないから、組織の中でうまく立ち回っていけない。4年付き合った恋人には「何を考えているかわからない」と言われて振られ、数年後彼の姿を見かけると妻子を連れて幸せそうに暮らしていた。公園では、「私がなれなかった人生」を送る人を見に来る。

 彼女は結局、立ち入りの電話に応えられないままその日を迎えるのだが、死んでしまうのだ。知らないうちに。昔飼って、自分が窓を開けて外に出したまま帰ってこなくなった三毛猫と再会し、付いて行く。自分のアパートに着き、知らない人が自分の部屋に立ち入っている。11匹の猫が怖がっているが、自分の声はその人たちには届かず、自分が死んだことを悟る。

 「飼い方もあれだけど、それなりに大事にはしてたんじゃないかな」(日本文藝家協会編.『雨の中で踊れ』まさきとしか「おかえり福猫」p.110)

 死んだ彼女の部屋は、壁がボロボロになり、多頭飼育崩壊になっていた。けれど、彼女は猫一匹一匹にノートを作っていた。持病、性格、病院歴。自分が死んだ時に猫が困らないように。

 彼女はおそらく、何かの発達障害を抱えている、ように描かれている。何か大切なことを言おうとすると言葉がうまく出なかったり、パニックになったりする。自分がなれなかった「人生」、今の自分が置かれた状況の先にある孤独死。猫を引き取ることは、昔逃してしまった猫への償いと、彼女の承認欲求の塊だった。だけど、猫一匹一匹に対して彼女が書いたノートは彼女の人生そのもので、なれなかった人生じゃない。彼女の死後、全く知らない人によって言われたあの言葉によって、彼女も、読者も救われるのだ。

 

 「生きづらさ」ってさ、最近流行ってるけど、簡単に使うなよ。私、嫌いなんだよ。人生を、生活を、人柄を、1日を、そんな言葉にまとめないでよ。生きづらくなんかねぇよ。

 そこにある幸せや人生が、「生きづらさ」なんかに隠れてたまるかよ。